熊本や大分で大震災が起きてから1ヶ月が経とうとしています。
日本で平成に入ってから震度7の地震が起きたのは今回で4回めだそうです。しかし同じ地域で震度7の地震が2回観測されたのは初めてなので熊本の人たちの心労は計り知れないものがあると思います。
こういった震災や災害が起きるといつも考えることがあるんですよね。それについて僕なりの見解を述べたいと思います。
目次
東日本大震災から5年・・・
2016年3月11日、5年ぶりに献血に行ってきました。5年前に大震災が起きた時、今の自分に何が出来るだろうとすごく悩みました。
有名人みたいに沢山の義援金を送る財力も無いし、ボランティアとして現地に行く時間も無い。
そんな中、お金を掛けずに被災者の皆さんの為に出来ることはないか考えたところ献血を思いついたんですよね。
震災直後は献血に行く人が増える
市内にある献血ルームに行くと沢山の人が来ていました。いざ自分の番になって献血しているときに担当の看護師さんと話をする機会がありました。
僕「いつもこんなに献血する人は多いんですか?」
看護師さん「いえ。震災や災害が起きると一時的に献血に来られる方が増えるんですよね。」
僕「そうなんですね。でも一時的とはいえ献血に来る人が増えるのは良いことですよね。」
看護師さん「献血に対する意識が高まることは良いことなんですが、頂いた血液は21日間しか使えないんですよ。なのでホントは一気に沢山の人が来られるよりは時間を置いて来ていただくのが嬉しいんですけどね。」
ボランティア意識は一気に高まり落ちていく
今回、熊本と大分で起きた大震災でもゴールデンウィーク中はボランティア希望の人達が全国から集ってきました。
必要とされる人数の何倍もの人たちが一気に集まってきたわけです。大型連休中ということもあってボランティアに来やすかったということもあると思います。
震災や災害直後はボランティア意識が一気に高まるんですよ。これはこれで大事なことなんですけどね・・・
継続して支援していくことの難しさ
献血もそうですがボランティアも一度行くと何か満足感があるんですね。俺は良いことしたぞ、みたいな。誰だって良い人に見られたいですからね。
完全に僕の場合は自己満足です。他の人が見ると偽善者と思われるかもしれません。
その証拠に5年前に献血に行ったきり完全に忘れていましたからね。
でも今年は何故か不思議と献血に行かないと、という気分になったんですよ。というのも5年経っても未だに多くの人達が仮設住宅で暮らしているということをテレビで知ったからです。
今までは他人事でした・・・
阪神淡路大震災の時も東日本大震災の時も、九州に住んでいる僕はテレビで災害の様子を見ていてもどうしても他人事でした。
他の国で起こった災害を俯瞰して観るように、潰れたり燃え上がっている家屋や被災している人たちに心のなかで「可哀想に・・・」と思って・・・
しかし今回、同じ九州の熊本・大分で大地震が起きたことで今までの震災がどれだけ大変だったか理解することができたんですよね。
特にテレビやスマホから緊急地震速報が流れた時はそのたびに命の恐怖を感じました。本当に地震は怖いんだなって。
熊本・大分もこれからが大事です
多くの芸能人が継続的に支援していくことを表明していますがホントにそうだと思います。3ヶ月後、半年後、1年後と被災地が復興していくために小さな力でもいいので継続していきたいと思いました。
自己満足でも良いじゃないですか。偽善者でも良いじゃないですか。それによって1人でも喜んでくれる人がいるなら。
来月また献血に行こうと思います。余震が落ち着いて休みが取れたら熊本・大分へ旅行に行きたいですね。観光地でたっぷりとお金を使いますよ^^